AIと多様性の時代

プログラム

先日、前回も記事にしたアラン・チューリングがAIの父として新50ポンド札の肖像画として選ばれたようですね。厳密にはチューリングはAIの父かといわれるとそうでないと思うのですが、コンピュータにも知能があるかを判別するチューリングテストを提案したことからでしょうか。

当のチューリングは、天才であると同時にゲイであったこともあり生存時は迫害され、戦時中の極秘プロジェクトであったことからも彼の功績は戦後しばらくは公開されることがありませんでした。ようやく2009年になり英国首相が公式に彼への迫害を謝罪したという経緯があります。

AIという今後の時代を占うキーワード、そしてLGBTという言葉からみられる多様性への価値観も相まって選ばれたのでしょうか。昨年亡くなった車椅子の天才物理学者スティーブン・ホーキング博士も候補にあがったようですが、紙幣になるにはまだ時が早かったのかもしれません。

何が幸せな世の中かということを考えたときに、いま盛んに言われる多様性(ダイバーシティ)というのも一つの答えなのかもしれませんね。各々がそれぞれの違いを認め合い尊重し、それぞれが得意な分野で能力を発揮できるという姿が理想なのかも。

でも、全員平等にってやっちゃうと怠けてしまうということが歴史の中で実証されてしまったので、平等ではなく公平に扱う。

平等と公平の違いって? 平等は背の高い人と低い人に同じベッドを与えること、公平は背の高い人には長いベッド、低い人には短いベッドを与えることだと思っています。そして、それは公平だと皆が納得し、公平に与えられた条件で努力し才能をのばし能力を発揮できる社会がいいですね。そして、それでも怠けちゃう人間の部分やつまらない仕事をAIがフォロー(笑) 一方で多様性といいながらも、皆が個を主張してしまうと、公がおろそかになる。国というか民族としては次の世代に命のバトンタッチをしないといけないので、そこは政府が優遇策などで命をつなぐという選択をした人達をフォローするということなんですかね。参議院選挙も近いので、だいぶ話が脱線してしまいました・・・

しかし、世の中、猫も杓子もAIですね。それだけ注目されているということでしょう。常に驚かされる話題を提供するソフトバンクグループの会長である孫さんも二言目にはAIといってますし、その本気度を見せるかのように最近、日本のAI研究の第一人者松尾豊教授を取締役に迎えています。そして、NECではAIなどの優秀な人材確保のために新卒でも年収1000万円を提示するといっていますね。

でも、巷ではなんでもかんでもAIと言っているような気がしており。単純にプログラムで指示された通りの条件で、つまりAが入力されたら、Bの答えを出す。CならばDというものはAIではなくプログラム。例えば、あなたにマッチングする相手をAIが選び出します。なんて言っているものはAI?単純に条件をいれたら取り出すデータベース操作じゃないの?って思ったりします。

この検索する対象とするデータ量がとてつもなく多い場合はビックデータと呼び、そのビックデータから規則性を見つけるのがデータサイエンティストですね。

では、何がAIなのか?と、学術的に述べるのは難しいですね(笑)ちょっとAI関連の本を読んだらまた書いてみようかと

今日はチューリングの紙幣ネタをもとにダラダラと書いてしまいました。

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